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ハードボイルドエッグ 第一話
 家族とは何なのだろう。一体どういうものだろう。人によってその答えは違うかもしれない。それは万華鏡のように無限の姿がある。だがそれは一つの万華鏡―家族なのだ。

 ぐつぐつぐつぐつ―鍋の中で湯が盛んに沸騰している。白い湯気が心地よい。湯の中には、緩やかな曲線を描く白い固体―卵がころころと沸騰する泡にもてあそばれている。そこに真剣な眼差しがそそがれてた。上品そうで美しい女性だ。薄いピンク色のシルクのガウンを着ている。清らかな朝だった。明るい純粋な日差しが彼女の肩にかかっている。手には、懐中時計を持っている。時間を計っているらしい。微動だにせず鍋の中を見つめ、まるで彼女自身が時計になったかのようだ。
「あと5秒、4、3、2、1―!」
 ひとりごちながら、素早くコンロから鍋をはずし、水を勢いよく流し入れる。十分卵が冷やされると、パリパリと皮をむき始めた。彼女の名前は、山本かほりという。桃井かおりに名前も顔も似ている。実際、SK-Uを使って白くすべすべの肌を保っている。
「出来たわよ。」
 かほりは食卓にむいたゆで卵を持って行く。テーブルの上には、白くてふっくらとしたパンが藤のカゴに、ポットには熱い紅茶がそれぞれいつもの位置にあった。今日の紅茶はアールグレイらしく上品で豊かなバラの香りがあたりに漂っている。
「紅茶も入っていますよ。そろそろいい時間です。」
 甘くて心地よく低い声が新聞の向こうから聞こえた。ばさりと膝の上に新聞を置き、男が顔を上げた。田村正和似の甘いマスクだ。この男、名前を山本正という。2人は、それぞれ白くてつるつるしたゆで卵を手に取り、テーブルの上においてあったクリスタルの瓶から塩をふりかける。ガブリと白身に齧り付いた。中から白い湯気がふわりと漂う。白身は口の中でぷりぷりとはじける。新鮮な卵だ。正は目を細めた。卵は中までよく火が通っており黄味は薄い黄色になっている。文字通り卵色。ハードボイルドエッグだ。口に入れると黄味がさらりと溶けて甘い味がする。熱いのを我慢して食べるとそれらはのどを通り胃まで温かくしてくれるようだった。至福の味だ。最後の一口を食べながらかほりはそう思い、ほうとため息をついた。正も食べ終え、満足した顔でまるで子供のように舌なめずりした。
 朝の儀式は終わり、目の前の瓶をかほりは手に取った。
「バラジャムをつけて食べましょう。昨日作ったのよ。ふふ。」
 かほりはにこやかに微笑みながら、銀のスプーンでバラジャムをひとさじすくい、2つにちぎった白いパンにぬっている。暖かな朝の光景―まるでクラシック―カノンでも聞こえてきそうな雰囲気である。
 正も、白パンにバラジャムをつけ、ひと口食べ美味しいと感想を述べようとした瞬間、一つの嫌な考えが、頭の中に沸き起こった。思わず眉間にしわを寄せながら、恐る恐るかほりに尋ねる。
「えー…ちょっと待って下さい。昨日、バラジャムを作ったと言いましたよね。そのバラは、もしかして庭にあるバラじゃないでしょうね。」
 かほりは、テーブルの上にある広告をじっと見ている。下を向いたまま呟くように言った。
「ええそうよ。お庭を見たら、綺麗なピンクのバラの花が咲いていたものだから、全部摘んでジャムにしたの。朝のこのパンによく合うでしょう。」
 正は、思わず顔に手を当て、うめくように言った。
「全部!」
 かおりは顔を上げ、とどめを刺すように言う。
「そう全部!」
彼女はにっこりと笑った。手には広告を持っている。
「お隣さんにも、おすそわけしたのよ。」
 正は机を叩いて怒った。
「ちょっとあれは私が絵を描こうと大事に育てた花ですよ。それをジャムに…しかも、お隣さんにあげるくらい大量に作ってっ…ゴホゴホッ」
 あまりの怒りにむせたらしい。顔を真っ赤にしながら咳き込んだ。かほりは、澄ました顔で紅茶を一口飲んだ。目は先ほどから広告にくぎ付けだ。口だけ動かす。
「でもね、バラジャム作りってストレス解消に良いのよ。いい香りに包まれて無心で作っているとね、頭の中がスーっとしてきてね…。」
かほりの声をさえぎり、正はぜいぜいと言いながら怒る。
「でもねじゃないでしょう。何故、素直に謝れないのですか?あなたは昔からそうだ…。」
―ピンポーン
 その時、チャイムが鳴った。正は、怒り足りない表情で玄関を見た。
「誰でしょう。こんな朝早く―?」
「ああ、今日から来ることになっているお手伝いさんじゃないかしら。やだわ、こんな格好なのに。」  手で髪をとかしながら、かほりは、慌てて玄関に向かった。背中がお小言から逃れられてよかったと言っている。正にはそう見えた。ふとテーブルを見ると某有名Aデパートの広告があった。これを真剣に見ていたのか。正は何だか嫌な予感を覚え、眉根を人差し指で押さえた。




 原田ともは、少し緊張していた。目の前には白くて大きな洋館のドアがある。庭の芝生は綺麗に刈り込まれており、様々な花が咲いている。ここの主人は、ガーデニングが趣味なのだろうか。ただ庭の一角を占めるバラの木々は花が無残にむしりとられた跡があった。何なのかしら―?ともは不思議そうにそれを見つめていると、ドアが開いた。ともは少し身構えドアの方を見る。中からすらりとした女性が出てきた。一目で上質だとわかるシルクのガウンが艶やかに光っている。茶色のさらさらとしたまっすぐな髪が日に当たり透けてしまいそうだ。綺麗な人だな―ともは、少しの間、見とれてしまった。女性は、にこやかに微笑みながらゆったりとした口調で言った。
「お手伝いさんの方かしら?ごめんなさいね。こんな格好で。」
 はっと我に返り、慌てて挨拶をした。そして、家の中に招き入れられていった。中では、男の人が、にこやかに迎えてくれた。
「いらっしゃい。はじめましてお嬢さん。」
 男は、右手を差し出した。ともはおずおずと手を差し出すと男はしっかりと握手をした。大きくて暖かな手だった。男の黒髪はくせっ毛があり、後ろに流してあった。シャンプーのようなよい香りがする。優しそうな目は、ともの緊張を少し和らげてくれた。よかった、お二人とも優しそうな方たちだわ。そう思いながら、ともは簡単な挨拶をした。男と女も、にこやかに微笑みながら自己紹介をした。男の名前は山本正、女の名前は山本かほりというらしい。この2人に会うのは初めてだった。一週間前にお手伝いさんの面接したときは、この2人の叔父さんという人が会ってくれた。何だか人のよさそうな初老の紳士だった。
「あの…お手伝いは初めてなのでよく分からないのですが、なんてお呼びすればいいんでしょう。やはり、旦那様と奥様でしょうか?」
 ともが、そう尋ねたとたん2人は吹き出した。かほりはころころと笑いながら言った。
「やーねー。私たちは夫婦じゃないわよ。兄妹よ。実の兄と妹!花の独身51歳独身男と49歳独身女よ。」
 ともは、思わず確かめるように正の顔を見た。正は少し困った顔をしながらうなずいた。「年まで言わなくてもいいでしょう。」と、正はかほりの脇をひじで軽くつつく。かほりは、あら、本当のことじゃないとケロリとしている。ともは、昔読んだ女性雑誌の特集記事を思い出した。
「あっ!そういえば読んだことがあります。山本かほりさんって独身だって…。そうでした、すみません。」
 確か『美人小説家10人の恋愛話』といったタイトルだったように思う。かほりは、今をときめく売れっ子の恋愛小説家だ。恋愛小説家なのに結婚してないなんて不思議とともは当時思ったものだった。ともは、あまり…というか全然本を読まないので、かほりの小説は読んだことがない。『せっかくだから今度読んでみよう。それに書いている本人がいるんだからさいんもらわなくっちゃ。』ともは結構ミーハーだった。
「すみません。お兄様は、何のお仕事をなさってらっしゃるのですか?」
 ともは、知らなかったので素直に聞いた。もしかして、妹のお金で遊んでいるのかもしれない。言った後、ともは少し後悔した。しかし、正はその不安をかき消すような笑顔で言った。
「あまり有名じゃないけどね。画家をやってるんだ。」
 ともは、文化的な生活をまったくしていなかった。本といえば漫画くらいである。しかも、その漫画の文字を読むのが面倒に感じるくらい活字嫌いで、絵なんて、雲の上の話にしか感じなかった。
「はー。そうですか。」
 雲の上の話は、ともの頭の上を素通りしていったため、愛想のない返事しか出来なかった。兄のサインはいらないらしい。
「今まで私が家事をしてたんだけどね。やっぱり長編小説書き始めると食事が面倒になるじゃない。前回店屋物ばかり食べてたら、口内炎が出来ちゃったのよね…。叔父がそれを心配してお手伝いさんを頼んでくれたのよ。」
 かほりは、頬に手を当て、ふうとため息をついた。
「私が作ればいいんですが、あいにく私も忙しくってね。」
 正が申し訳なさそうに言った。
「でも、そのおかげで雇ってもらえるんだから嬉しいです。」
 ともは、笑顔で言った。ともは、料理の専門学校を出たばかりだ。昔から勉強は嫌いだが、料理をするのは好きだった。作っている途中のあのなんとも言えないよい香り。出来立ての料理から立ち上る蒸気。それに食べてくれる人の幸せそうな顔が何よりも一番嬉しい。そのためには、2時間でも3時間でも頑張って料理を根気よく作ることが出来た。が、何故か就職せずに家でぶらぶらしていた。いわゆる家事手伝いというやつだ。ともには、ピンと来る就職先がなかったのだ。あまり就職活動もしなかったように思う。家でのんびりするのにあき、携帯代もなくなってきた頃、新聞にここのお手伝いさん募集が載っていたのだ。タイミングがよかった。しかも、面接も上手くいって、お手伝いさんをすることになった。何がよかったのだろう。ともは、少し考え込んでしまった。はっと我に返ると、かほりがしげしげとこちらを見つめていた。
「それにしてもあなた…。」
 かほりは、眉をしかめている。
「何でしょう?」
 ともは首をかしげた。




 照明がまばゆい。人のざわめきがまるで音楽のようだ。―ここは某有名Aデパートである。かほりは薄いピンクのサングラスをかけ、シルクの白いシャツに花模様のロングスカートを着ていた。首にはエルメスの赤いスカーフを巻いている。この人は、シルクが好きなのかもしれない…そう、ともは、真剣に服を選んでいるかほりの横顔を見た。服といっても、かほりの服ではない。とものお手伝いさん用の服だった。
―それにしてもあなた…それじゃ、お手伝いさんとは言えないわ。もっと可愛い服を買いましょう。―かほりは、とびきり素敵な思い付きをしたかのように顔を輝かせ、このデパートに3人で来たのであった。正は、お世話になっている画商の人に会いに行くと言っていた。
「あの、かほり様…服でしたら、私が…。」
 ともは、2人を様付けで呼ぶことにした。かほりは、服選びに夢中になっているらしく何も聞こえないらしい。何も答えてはくれなかった。突然、かほりは顔を上げた。
「これだわ!」
 かほりが手にしているのは、ブルーのワンピースだった。何だか少し制服チックである。
「これが今日からあなたの制服よ。」
 やっぱり制服だったらしい。かほりは同じような服を何着も買った。ともには、とても手が出せない値段だったので黙っていた。内心、後で請求されたらどうしようと、どきどきしていた。最後に、エプロン売り場でフリフリのフリルがついた白いエプロンを買った。ちょっと恥ずかしいかもしれない。と、ともは思ったが、すぐに慣れるだろうと思い直した。意外とともは楽観主義者のようである。
 正とは、8階の催し物売り場で待ち合わせをしていた。正は、かほりたちより早く来ていた。かほりの顔を見たとたん正は早口でしゃべった。
「何であんなにはしゃいでるのかと思ったら、やっぱりこういう事だったんですね。」
 こういう事って何だろうと、ともが思っていると、かほりはあっけらかんと「あら偶然よ。」と言いはなち、売り場の方へすたすたと歩いていった。天井からは、『アジア家具フェア』と書かれている。正は、あきれた顔でまったくとつぶやいた。
 かほりの顔は、服を選んでいたときも輝いていたが、そのときよりももっともっと輝いていた。これ以上ないくらいの輝きようである。もうサングラスもはずしてなりふりかまわない様子だ。
「まあ、この棚素敵じゃない!ああ、こんな箱欲しかったのよねえ。これも…。」
 あちらこちらにめまぐるしく目を移していく。
「この間、アンティーク家具を買ったばかりじゃないですか。何処に置くんです!」
正はたまらず声をあげた。かほりは店ごと買ってしまいそうな勢いだった。
「あら、私の部屋を模様替えするのよ。私だって何も考えずに買うわけじゃないわ…と、これも買い…と。」
 兄の話には聞く耳持たずといった感じである。次々と買っていく。いつの間にか店員がやって来て恭しく対応している。そりゃ、これだけ買えば恭しくもなるだろう。棚は渋い赤色でベトナム製の34万円。何だかよく分からない木の箱でも4万円している。何に使うのだろう。不思議な置物も買っている。タイ製らしい。人を縦長に伸ばしたような感じだ。他にもあれもこれもと気持ちいいくらい買っている。ともは自分が買い物しているかのようにワクワクしてきた。正は逆にげっそりしている。その正の横顔とかほりの顔を見比べながら考える。きっと、この人はずっとかほりの我侭に付き合ってきたのだろう。勝手に想像を膨らませる。 きっと朝見たバラも正が育ててかほりがむしったに違いない。2人はそんな我侭を言う・言われるの関係を楽しんでいるのではないだろうか。でなければ一緒に住むはずがない。一緒に買い物に行くはずがない。何だか変わった2人のようだが、面白そうだ。ともはにんまりとした。
 これから、ともはこの少し変わった2人のために家事をしていくのであるが、そこで様々な事件に巻き込まれようとは知る由もなかった。
 ため息をつく正の前で、かほりはいかにも楽しげにあははと笑った。

(第2話につづく)2003.6.15.


モノクロワールド
     モノクロワールドとは、2003年から1年間、管理人ダウが書いていたテキストサイトのタイトルです。
テキストのシリーズには、「恋する女子達」という恋をテーマに書いた短いお話も入っていました。
このタイトルが今のサイトの名前の原型です。


今、モノクロワールドはなく、
いつ壊れるか分からないパソコンの中にひっそりとテキストたちはいます。
それは何だか寂しいなと思い、またひっそりとgirls in loveにアップしてみました。


検索でひょっこり来てしまったアナタ。
お暇つぶしによろしかったらお読みください。


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